文庫「頼むから、ほっといてくれ」が発売になります。
12月4日から書店に並び始める予定です。
トランポリン競技に青春をかける選手たちを描きました。
といっても選手だけでなく、親やコーチ、審判員といった人たちも登場しますので、競技にあまり興味のない人も楽しんでいただけるのではないかと思っています。
私はスポーツ観戦が好きです。
まるで人生の縮図のようだから。
一生懸命努力しても報われないことが多いし、環境や資質に差があって不公平だったりもする。
緊張が本来の力を奪うこともあるし、怪我というピンチもある。
そうした喜びと苦しみがぎゅっと凝縮されたものを、スポーツ選手に見るのです。
勝った者、負けた者、すべての人にドラマがあって人生がある・・・目が離せないってもんです。
またアスリートの発する言葉は心に響きます。
たとえば・・・「自分を信じて」という言葉をアスリートはよく言いますね。
これ、多分自分を信じられなくなることがしょっちゅうあるんだと思うんです。
その裏返しとして「自分を信じて明日の試合に臨みます」と自分に言い聞かせるようにコメントをするんじゃないでしょうか。
作家稼業も自分を信じられなくなる毎日です。
今日書いた原稿は、少しはましなものだったろうか。
方向性をまったく変えて、違う作品にした方がいいんじゃないか、なんて不安を抱えています。
でも答えは誰ももっていないので「これでいいんだ」と自分を説得して、翌日も原稿の続きを書きます。
これを半年近く続ける毎日。
不安な状態が長く続きますから、毎日「自分を信じろ」と己に言い聞かせなくては、とてもやっていられません。
この時の心情が、アスリートの心情に近いように思い、勝手に親近感を覚えています。
毎日の地味な練習が結果に繋がると信じて不安を吹き飛ばすしかないアスリートの言葉が胸に刺さってくるのも、私が抱える心細さに似ているように思えるのです。
「頼むから、ほっといてくれ」がスポーツ選手の話といった面だけでなく、様々な人生の素晴らしさと苦さを味わえる小説になっているといいのですが。
興味をもたれた方は、是非ご一読を。
毎日いったい何時間ぐらいキーボードに触れているかと考えると・・・結構な長時間だと気付き、びっくりします。
稀に誰かのキーボードを使う必要に迫れて手を置くと、配列は同じはずなのになんとも打ち辛くて、他人の服を着てしまったような違和感まであるから不思議です。
長時間触っているうちに、キーボードと使用者が一体化するんでしょうかね。
長く接するものであればこそ、好みというのがあります。
私の場合キーボードは角度を付けて使用するのが好み。
たまに平らな状態で使っている人を見ると、こっそり裏返して小さいスタンドを立てちゃおうかという気持ちがうずうずします。
そしてなんといっても私にとって大事なのはリストレスト。
その名の通り、手首を休息させるための置き場。
これをキーボードにぴたりと付けて置き、そこに手首をのせます。
その様子がこちらです。
様々なサイズが売られていますが、結構手を左右に動かすようで、小さいものだと手首が落っこちちゃうので、キーボードよりも長さのあるものを買います。
私の手首はオイリーなのか、使っているうちに変色してしまい、ちょっと見っともない状態になります。
それで年に1度程度買い替えています。
マウスパッドも平らなものではなく、リストレスト付きのものを選ぶようにしています。
自宅に遊びに来た友人が、こうしたキーボード周りを見て「随分と手首に優しい女なんだね」と言いました。
優しいです、手首には。
リストレスト普及委員もかくやというほど、私は熱心に友人にそれの素晴らしさを伝え、使ってみてくれと促しました。
友人はリストレストに手首をのせ、しばらく動かしていましたが、やがて手を離すと「私はない方がいいや」とコメント。
いやいや、最終結論が早すぎると、私は再考を促しました。
友人は渋々といった様子で、もう1度リストレストに手首をのせてキーを打ち始めました。
その手元を見ていて、あることに気が付きました。
友人の指の動きがやたら軽快。
響く音もソフト。
私がキーボードを叩く音はもっと大きいぞと、その違いについてあれこれ考え出すと・・・。私が初めてキーボードを叩いたのは、遥か昔。
パソコンが出る前のことで、ワープロというものが最初でした。
当時のワープロはキーの1つひとつに結構な高さがあり、それを強く叩きつけないといけなかった。
時代と共にキーの高さはどんどん低くなっていきました。
そして「パソコンを買い替える度にキーの高さが低くなって、押した感じがしないなぁ」なんて思うように。
これが原因かも。
強く叩かなければいけない頃の習慣で、今じゃ必要ないのに、無駄に強く叩いているのかもしれません。
それで他の人と比べて手首の疲れを強く感じていたのかもしれませんね。
今回は珍しく正解に近い辺りに辿り着いた気がするのですが、どうでしょう。
自宅近くには時間制駐車場がたくさんあります。
一つひとつはとても小さく、2~3台しか停められないところがほとんどです。
ある日、時間制駐車場の横を通り過ぎようとすると・・・精算機の足元に長ネギが2本。
当然ながら足は止まり、じっと長ネギを見下ろすことに。
どうしたんでしょう、これ。
誰かの忘れ物なんでしょうか。
駐車エリアに落ちていたのを見つけた人が、わかり易いようにと精算機の足元に置いていったのか。
いや、そもそもここに長ネギを置き忘れた人がいたのかも。
精算をしようと財布を出した時、長ネギを持っていると片手が塞がってしまうので、ちょいと精算機の足元に立て掛けた。
で、精算をしたら長ネギのことを忘れてしまい、車に戻って出庫した・・・といった方がアリそうですね。
が、どうもすっきりしない。
この推測では、片手に長ネギを2本だけ持っていた人がいたというところから始まっています。
2本の長ネギを片手に持っている人を見たことがありますか?
私はありません。
長ネギを持ち歩いている人というのは、たいていレジ袋にほかの食材と一緒にといった状態。
2本の長ネギだけを小脇に抱えている人など見たことない。
フランスパンを小脇に抱えている人なら、雑誌の中で見たことがありますが。
精算機の足元にレジ袋ごと忘れていったというのなら、ドジねぇで済むのですが、2本の長ネギだけとなるとミステリアスです。
スーパーで買い物をしたとします。
時間制駐車場に戻ってきて、レジ袋を車の助手席に置いたとしましょう。
さて、精算しなきゃと財布を持って精算機の元へ。
この時、長ネギを2本だけ手に持ち精算機へ向かうでしょうか。
向かわない。
ということでこの案を却下し、2人いたと仮定してみます。
買い物を終えた2人のうち、1人は車へ、もう1人は精算機へ。
財布を出そうとした時、片手の長ネギが邪魔なのでちょいと精算機の足元へとなると、この人は長ネギ2本だけを運んでいたことになる。
2人連れで持ち歩くレジ袋の分担が、1人が長ネギ2本だけになるケースってあるでしょうか。
しょうもないことであれこれと考え始めたものの終わりがまったく見えず、なんだかすっかり疲れ切ってその場を離れました。
いつかこの謎を解く日が来て欲しいと思っています。
服をネット通販で買うようになってから大分経ちます。
ずっと感じているのは・・・海外ブランドと日本ブランドの通販ページの作りが違うということ。
海外ブランドの場合、恐らく本国でサイトを作り、その日本語版を日本支社が作っているように思われます。
なので、日本人用に勝手にページを作れない。
あくまでもオリジナルページを日本語に訳しましたといった体になる。
ここで問題になるのは、海外の方と日本人では服を買うか買わないかを決めるチェックポイントが違う点。
アンタはいつから日本人代表になったんだよとツッコまれそうなので、ここは海外の方と私ではチェックポントが違うと言い換えておきましょう。
私の場合、まずデザインをざっくり見たら細部をチェックしたい。
素材のアップの画像だけでなく、ボタン、袖口、肩口といったポイントをチェックし、ジャケットでは裏生地が全部あるタイプなのか、半分だけか、或いは裏地はないのかといった点も知りたい。
また、スカートではモデルが着用していると膝丈かもしれないが、自分ではミドル丈になるかもしれないので、丈が何センチなのか数字も押さえておきたい。
パンツの場合には、ウエストとヒップサイズだけでなく、わたり幅や裾幅も大事な情報になります。
こういった情報がすべてきっちり書かれているのが、日本ブランドのサイト。
ところがところが。
海外ブランドのページは至ってシンプル。
画像はモデルが着用した正面、後ろ姿、横向きのみだったりする。
しかもこのモデルがちょっと腰を斜めにしたポーズを決めていたりするので、スカートの場合だとタイトなのかペンシルタイプなのかわからなかったりもする。
デザインについての説明書きもないため、詳細は不明。
ジャケットの裏地も、素材欄に裏地の記述があるので付いているようではあっても、全部なのか半分だけかはわからない。
パンツにいたっては、ウエストとヒップサイズしか書いてないことが多く、極太の私の太腿が入るかどうかの答えはない。
こんな情報だけで買う人がいるのだろうかと、以前から不思議に思っていました。
が、そういった点が大事なのは私だけで、海外の多くの方にとっては不要な情報なんでしょうね。
海外の方たちにとってもこうした情報が必要であれば、そういったものがないサイトでは売れないでしょう。
となれば、サイトを見直そうとするはず。
そうはしないということは、ざっくりした情報の提示だけで売れているから。
裏地がなんちゃらかんちゃらと言うような人間は、買うなよといったことでしょうか。