以前、テレビを見ていた時のこと。
百歳を超えた男性に、インタビュアーが質問しました。「もう1度戻れるとしたら、何歳の時に戻りたいですか?」と。
男性はしばし考えてから答えました。
「今がいいねぇ。今が1番だから、戻らなくていいですわ」と。
思わず「すっげぇ」と声が出てしまいました。
戻らなくていい。今が1番と言える人がいったいどれくらいいるでしょうか。
素敵な人生を過ごしてきた方なのでしょうね。
同じ質問を友人にしみると・・・20代と答える人が圧倒的多数。
十代の学生時代は色々メンドーなので、もういいそうです。
それよりは20代に戻り、今度は上手に世渡りをしたいと言います。
2度目であれば、その結果がどう出るかわかるほどには賢くなっているので、もう失敗はしないだろうしと、その理由を上げました。
残念ながら、今が1番なので、戻らなくていいと答えた人は誰もいませんでした。
「同じ相手と結婚するか?」との重ねての問いに、全員が「NO」と答えました。
不満はあるけれど、特別仲が悪いわけではない。
恐らくこれからもずっと家族を続けていくだろうと思う。
だが、もう1度は勘弁とのことでした
本当はバレエでフランスに留学したかったとか、海の近くに住み、スキューバダイビング三昧の人生がしたかった・・・なんて、初めて聞く話も出てきました。
初めて聞くと私が言うと、自分でもそんな夢をもっていたことをすっかり忘れていたと友人は答えました。
子どもの時分や若い頃に描いた夢を実現した人は稀。
予定通りの大満足の人生を過ごせる人も、ごく僅か。
皆もそうなんだと知ると、少しほっとしますね。
もっとこうだったら、人生は変わっていたのでは。
あの時、違う決断をしていたら。
誰しも、こんな夢想を1度はするのではないでしょうか。
そうした思いに光をあてたのが、新刊「ワクチンX 性格変更、承ります。」です。
これが自分が望んだ人生だったのだろうか、このまま先へ進んでいいのだろうかと、登場人物たちが迷い出します。
この迷いは、多くの方に共感していただけるのではないかと思うのですが、どうでしょう。
興味をもたれた方は、ぜひ本書を開いてみてください。
ちょっとゴミを捨てに。
ちょっとポストに手紙を投函しに。
そんな時に履いていたサンダルが壊れました。
しげしげ眺めると・・・いつ買ったのか思い出せないほど、長きにわたり活躍してくれたサンダルでした。
寿命だったのだと諦められるぐらいの年月を、共に過ごしてきました。
これだけ使って貰ったので本望だったと、サンダルの声が聞こえてくるような気さえします。
と、感傷に浸るのはここまでにして、次のサンダルをどうするかという現実にぶち当たり・・・さて、どうする。
値段がお手頃で、丈夫で、玄関に置いてあっても恥ずかしくない程度のもので、1年中履けるもの・・・ありますか?
まず、どうやって探せばいいのでしょう。
靴の通販サイトはたくさんあります。
ちょっと覗いてみましたが、用途が違う靴ばかり。
通勤や休日に履く靴ではなく、ちょっとそこまで行く時に履く靴はありません。
あるのかもしれませんが、見つけられない。
どう絞り込んで検索すればいいのかがわからない。
途方に暮れかかった時、ふと、たまに購入している通販サイトを思い出しました。
そこでは枕や吸入器、化粧品やボディソープなどを買ったことがあります。
雑多な物を扱っていて、それぞれに薀蓄があるというのが特徴。
もしかしてと、そこで探してみたら・・・ありました。
それがこちら。
中敷きを取り外せて丸洗いできるというのと、どこぞの病院スタッフが続々採用といった文章に惹かれ、それじゃと購入。
軽くて丈夫そうなので、これもまた、本望でしたと言わせるまで、履き続けられるのではないかと期待しています。
買ってから気が付いたこと。
病院で働くドクターやナースなどが、サンダルに望むことと、そこら辺を歩きたいだけの私が望むことに共通点はあったのか? ということ。
なんかちょっと違うような気がします。
それに気付くのが買ってからというのが、私らしいといっちゃ私らしいのですが。
ま、結果オーライだったというオチでひとつ。
新刊「ワクチンX 性格変更、承ります。」が発売になります。
この週末から書店に並び始めます。
場所によっては、週明けにお目見えとなるところもあるようです。
ネタバレをしないように紹介するのが、非常に難しい。
ストーリーに触れずに、どんな小説かを語るとするなら・・・中年の迷いを描こうとトライしたといったところです。
これまでの二十年間と、これからの二十年間を、考えざるを得なくなった四十代の男女の戸惑いに光を当ててみました。
ちゃんと描けているといいのですが。
執筆中は登場人物たちと過ごす時間が楽しくて、楽しくて。
書くことは楽しいことだったと思い出させてくれました。
いつの頃からか、勝手にプレッシャーという魔物を背負い、一人で気張っていました。
昔、書くことがただ楽しくて、毎日夢中で書いていた日があったことを忘れそうになっていました。
それが「ワクチンX 性格変更、承ります。」を書いている時は、楽しさにずっと包まれている状態に。
私にとっての小説を書くことの意味を、改めて気付かせてくれた作品となりました。
それじゃ、お腹を抱えて笑い転げるような、楽しさ満載の小説なのかというと、ちと違います。
小説の味わいとしては、ほろ苦い後味の仕上がりになりました。
目指したのはビールの味わい。
コクがあって、キレがある、あの感じです。
たくさんの人に愛されるビールのように、この小説もたくさんの人に、その苦味も含めて愛されるよう、祈るばかりです。
装幀を初めて見た時、透明感と不穏さが同居していると感じました。
そのバランス加減が絶妙で、装画と装幀を担当してくださったプロたちの手腕に感動しました。
小説が世の中に出て行く時、たくさんの人たちのサポートを受けます。
皆さんからの愛情を、いつも感じていられる私は幸せ者です。
どうも有り難うございます。
昔、何度か競馬場へ行ったことがあります。
当時の職場では、馬券の購入をするのは大人の嗜みだといった風潮がありました。
半人前の私でしたが、大人になりたくて、たまに同僚に馬券購入を依頼しては小金を失っていました。
ある日曜日、同僚たちと競馬場へ行くことに。
競馬場デビューです。
当時は窓口に行き、口頭で「2-3を1000円と2-4を100円と・・・」といった具合に注文し、馬券を購入するスタイルでした。
心に決めた番号を記したメモを手に、窓口で順番を待っていると・・・客の声が聞こえてきます。
「3-4を1万と、3-5を5千、3-7を1000円」
ん?
3がくるのか?
このオッサンは、3がくると思っていて3から流している。
手元のメモを確認すると・・・3はない。
慌てて競馬新聞を広げ、3がどんな馬なのかを調べます。
見たところで、なにかがわかるわけじゃないんですが。
競馬新聞にはプロの予想が書いてあります。
そのプロたちの中でたった1人だけ、3に大穴マークを付けている人がいました。
そうなの?
このプロは予想屋の中で、どういう人なの?
信じていい人なのか、ただのバカなのか、どっちなのかがわからない。
と、レースが終わった後で「あー、あの時、3がくるかもって思ったのに、買わなかったー」と後悔している自分の姿が頭に浮かびました。
買っとこう。
そうだな、一応買っとこう。
競馬の神様が、ちょっとヒントをくれたのかもしれないし。
と心に決め、くると予想していた5とからめ、3-5を買うことにします。
しかしながら、私の番はなかなかこない。
待っていると、今度は別の客の声が・・・1-4を1000円と、4-6を2000円。
えっ?
4がくる?
急激に胸に溢れる不安。
4がきたらどうしよう。
やっぱり4もおさえておくべきだろうか。
迷っている間に、私の番に。
気が付けば、予定していたもののほかに、3と4がらみの馬券も購入していました。
まー、どれかはくるだろう。
などと、こんな時に突然楽観主義者になり、鼻歌まじりで同僚たちが待つ席へ。
が、どれもこなかった。
色々買ったのに、その隙間をかすめるように勝利は過ぎ去った。
がっかりして財布を覗くと・・・カラ。
予定外に3と4がらみの馬券を購入したため、すっからかんに。
同僚にカラの財布を見せて「帰りの電車賃を貸していただけないでしょうか?」と尋ねると・・・。
貸してくれました。500円ぐらいだったと思います。
「必ず帰りの電車賃だけは取っておくというのが、正しいギャンブラーの道だから。財布とは別の場所に、電車賃分を置いておきなさい」
との小言と一緒にでしたが。
その後しばらくして競馬場へ行ってみると・・・馬券の購入方法が変わっていました。
マークシート用紙の欲しい番号のところを鉛筆で塗りつぶし、機械に差し込むスタイル。
お金を払うと、馬券が機械から出てきます。
なんて素晴らしい方式でしょう。
これなら、ほかの人が買った馬がわからないので、迷わなくて済む。
お陰でこの時は帰りの電車賃に手を付けずに済みました。