ネット経由でワンピースを買いました。
カシュクールタイプのものです。
自宅に届くとすぐに試着をしてみることに。
肩に羽織り、着物のように前身頃をクロス。
左右の前身頃の端にはそれぞれ紐が付いています。
この紐で布を縛ろうとすると・・・なんだ、どうやるんだ? との疑問が。
左右の紐は右の前身頃に付いているのは長く、左の前身頃に付いているのは短くなっています。
となると、長い方の紐で身体を左から回り込むようにして、待っている短い紐のところまでいき、出合ったところで結ぶのだろうと思うのですが・・・。
長い紐で左から回り込んでみると、左の前身頃は内側になるので、それに付いている短い紐も内側に隠れてしまい、紐同士が出合わない。
逆か?
と考え、右の前身頃の前に左の前身頃を重ねてみましたが、短い紐では身体の周囲をめぐらせられない。
また、出合いたい長い紐が内側に隠れてしまうので、結べないのは同じ。
こんなに難しいワンピースがあるとは。
購入したショップのサイトに今一度アクセスし、モデルさんが着用している写真を凝視。
と、着物のように右の前身頃を内側にしていました。
しれっと着てる。
どうすりゃいいんだ? と私のように眉間に皺を寄せて考えましたといった風情は皆無。
商品の説明文をじっくり読んでみましたが、紐の結び方についての言及はなし。
紐の結び方がわかりませんといった問い合わせをするのは、ちょっと恥ずかしい。
それを理由欄に書いて返品するのも、ちょっと口惜しい。
ポンコツはポンコツなりに、こうした時どうすればいいかを学習してきました。
一晩放置。
翌日になればフレッシュな気持ちになり、新しいアイデアが浮かぶかもしれないから。
翌日になり、今一度ワンピースを肩に羽織ってみます。
右の前身頃を内側にするということは、そこに付いている長い紐はやはり身体の背後を回っていくはず。
が、このままだと布の内側にあるので、外に一度出る必要がある。
どうやって紐を外に出す?
穴でも開いていれば、そこを通せるかも。
と思い付き、脇の縫い目を舐めるように見ましたが、穴なんて開いてない。
ネットショップに問い合わせのメールをする時には、日本語が下手っぽく書いてみたら、懇切丁寧な返事がくるのではないかなんてことをちらちらと考えながら、今一度脇の縫い目をチェックしましたが、穴はない。
問い合わせメールの文面を考えながら、ふと、脇の縫い目に指をあて、下からすっと上げていくと・・・違和感が。
違和感のあった箇所をよくよく見てみると・・・1センチほどの穴を発見。
ここか!
で、その穴に長い紐を通して身体の背後をぐるりと添わせてみると、見事短い紐と出合いました。
穴、小さ過ぎ。
ポンコツの私は、穴を発見するのに1晩かかりましたが、フツーの方はすぐに見つけられるのでしょうか。
フツーとポンコツの差は大きいなぁなんてつくづく思いました。
それは上野でのこと。
絵を観るために列に並んでチケットを購入。
入口でチケットの端っこを千切られ、敷地内へ。
ちょいとした庭を歩かないと目的地まで辿り着けない施設が、上野にはあります。
日傘を差しながらえっちらおっちら歩き、ようやく館内へ。
まずするのは、コインロッカーを探すこと。
ありました。正面階段の裏側に。
美術館のコインロッカーは大抵ほとんどが塞がっていて、使用できないことが多い。
コインロッカーの設置数は誰がどういう計算と予測でしたものなのか? といつも思っていました。
が、何故かそこのコインロッカーはほとんどのところに鍵が差さっていて、空いている。
階段の裏なので皆気が付かないのかなと思いながら、日傘や手帳といった絵を観るのに不要なものをロッカーに入れて、100円を投入。
さて、会場はどこだろうときょろきょろ。
入口の横に掲示板があったので、それを見上げると・・・私が観ようと思っていた展覧会の名前がない。
画家の名前もない。
そして書いてある展示内容が、絵とは関係なさそうな感じ。
ん?
同じように掲示板を見上げている人たちをチェックすると、制服姿の中高校生たちがやけに多い。
今一度掲示板に目を向けて・・・ここはもしかすると博物館かもしれないとの疑いが。
やっちまいました。
コインロッカーから荷物を取り出して外へ。
で、振り仰ぐと、でっかく「博物館」の文字が。
しばし呆然とその看板を見上げました。
我に返り、辺りを見回すと・・・人の流れが右方向へ。
その人の流れに私も加わりしばらく歩くと、大きな幟が。
そこに目当ての画家の名前が大きく書かれていました。
幟や掲示板に貼られたポスターを、心の中で指さし確認しつつ歩を進め、建物の前に到着。
入口の上部へ目を向け、看板が「美術館」となっているのを確認し、一つ頷いてから館内へ。
コインロッカーが並ぶ場所へ行ってみると、すべて使用中で空いているのは一つもない。
いつも通りで妙にほっとしました。
それにしても、不注意にもほどがある。
帰りによくよく周りを見てみれば、人の流れの多くは美術館へと続いていて、博物館へ進む人はごく僅か。
なのに何故その人の波から外れて、私はそっちへと向かったのか。
また博物館の入口横にも掲示板があり、中で開催されている展示内容が記されていたのに、それらを一切無視して中に猛進したのは何故なのか。
ぼんやり歩いていて、周囲に注意を払わなかったんでしょうか。
時々自分が心配になります。
なんでこんなモノを買ったのだろう。
なんて自問自答することってありませんか?
私はちょいちょいあります。
なにをもってこれを買おうと決断したのか、これを身に付けてどこへ行く気だったのか・・・理解できないのです。
そうしたモノが溜まってしまい、狭い家を更に窮屈にさせていると気付き、捨てようと決意。
だが待てよと。
売れるんちゃう?
と、さもしい考えが浮かびました。
もとい、エコな考えが浮かびました。
売りたいモノを指定先に送れば、買い取ってくれるサイトを発見。
服、バッグ、アクセサリーなど、扱うアイテムは幅広い模様。
そこに書かれている説明文によれば、買った時の箱やショップカードなどがあると、査定金額がアップするので、一緒に送るようにとありました。
そうきたか。
私は無駄なモノは取って置く癖に、必要なモノは捨ててしまうという間抜けです。
捨てちゃっただろうなとは思いながらも、査定金額がアップするならばと、必死で箱やショップカードを探しました。
案の定そんなモノは見つからず。
しょうがないので、10個の品物だけを指定先に送付。
1週間ほどして、査定結果がメールで送られてきました。
10秒ぐらい画面を見つめたままフリーズ。
ずらりと並ぶ査定金額は、どれも買った時の金額の十分の一ほど。
なかには1回も使っていないブランドもののアクセサリーもあったのですが、そのブランドのデザイナーが知ったら哀しむぐらいの低価格の査定でした。
私も哀しい。
不用な品を買い取って貰えるだけで有り難いと思えるような器の人間になりたいもんですが、精進の足りない私はちょっとがっかり。
査定金額に納得できない場合、送り返して貰うことはできるのですが、恐らくほかのところに査定に出しても、それほどの金額差があるとは思えず、またもう1度調べてどこかに送るのはメンドーで、その金額で了承することにしました。
箱やショップカードがあったら金額はどれくらい違ったのだろうなんて、今更そんなことを後悔。
そもそも使わないようなモノを買ったことが間違いなんですが。
買った時の金額と、売った時の金額の差に、呆然とするばかりでした。
現実ってしょっぱいですね。
先日書店さんを訪問させていただきました。
これ、ほぼ初なんです。
数年前「ボーイズ・ビー」の文庫をとても売ってくださっている書店さんがあるので、一緒に挨拶に行きましょうと、編集者から声を掛けて貰ったことがあります。
「喜んで」と答えて伺ったのですが・・・その日は、手書きのポップで応援してくださっていた書店員さんの休日だったため、お会いできずに帰って来たというしょうもない結末。
担当の書店員さんの休日をチェックせずに行動した編集者を、じっとりと見つめましたっけ。
これが初の書店さん訪問だったのですが、担当の書店員さんに会えずに終わったというオチのため、今回の書店さん訪問をほぼ初との表現にさせていただきました。
新刊が出る時には「私ができる販促活動があればなんでも言ってください。なんでもやらせていただきます」と申し上げているのですが、私はお呼びではないようで、書店さん訪問の要望が出ることはありませんでした。
今回新刊「総選挙ホテル」で書店さんを訪問する機会を頂戴できたのは、三省堂書店の神保町本店と、渋谷のHMV&BOOKSさん。
お忙しい中お時間を作っていただいて有り難うございました。
作品の話をさせていただいたり、お店の話を聞かせていただいたり、とっても楽しい時間でした。
書店は小学生の頃からずっと大好きな場所。
一歩足を踏み入れれば、一気にテンションが上がります。
私にとっては、テーマパークよりもわくわくする所。
大好きな場所に変わりはないものの、作家になってからは感じ方が少し変わりました。
大量の本を前にして、ここで私の小説と出会うというのは、奇跡が起こらないといけないぐらいの確率なんだと改めて思い知ります。
そう思った瞬間ちょっと頭がくらっとします。
今では書店は読者とのご縁を結び付けてくれる場所といった思いが強く、手を合わせて拝みたくなるような気持ちです。
三省堂書店の神保町本店さんと、渋谷のHMV&BOOKSさんでは、「総選挙ホテル」にサインをさせていただきました。
よかったら店内でそのサイン本を見つけてみてください。