「どうやってアイデアを生み出すんですか」とよく聞かれます。
私はさぁと首を捻ります。
なんとなくというのが真実に近いのですが、そう答えても大抵許して貰えません。
しょうがないので「付箋を家のあっちこっちに置いておいて、なにか思い付いたらすぐに書き留めるようにしています」と答えます。
それは覚えておく手法であって、質問に対する答えじゃないでしょといった顔をする相手。
私はそれ以上答えようがないんですといった表情を浮かべます。
そうすれば、それ以上の追及はかわせます。
なんで思い付いたのかって聞かれても、私にだってわかりません。
生み出る経路や方法がわかっていたら、苦労はしていません。
たまに「私はなんにも浮かびません」という人がいます。
そんな時にはいつもこう答えます。
「浮かぶ前に諦めてしまっているんじゃないですか? 浮かぶまで考え続けるんです。うんざりするぐらい考えて考えて、考え続けて、そうやって捻り出すんです」と。
付箋といえば・・・自宅のココアの箱に付箋が貼ってあるのを発見。
以前ココアに嵌り毎日飲んでいました。
開封済みのが1箱。未開封のが2箱。合計3箱がありました。
このうち開封済みの箱に付箋が貼ってあり、×と書かれていました。
どう考えても私が×を書き、どう考えても私がココアの箱に付箋を貼ったのでしょう。
それなのに・・・それの意味するところが、わからない。
×ってなに?
捨てるってこと?
だったら付箋なんか貼ってないで捨てればいい話。
在庫の3箱のうち、これから先に使うという意味で記を付けた?
でもこうした場合なら×ではなく、〇を付けそうな・・・。
それに1箱だけが開封済みなのだから、これから使うということは、付箋を貼らずともわかるんじゃない?
いくら私がぼんくらでも。
こんな風に自分が付箋に書いた言葉を後日目にした時、その意味がわからずに途方に暮れる・・・なんてことがままあります。
プリンターに「サイ」と書かれた付箋を見つけた時には、長いことその場で考え続けましたが、結局その意味はわからないままとなりました。
洗濯機の蓋に「あとで」と書かれた付箋を発見したこともありました。
後でなにをするつもりだったのか、そっちを書けよと己に全力でツッコみましたっけ。
謎を自ら作り、その謎に翻弄されながら、今日も頑張って生きています。
帰宅途中でスーパーに寄りました。
お店の籠を手に持った瞬間「今日は料理をしない」と決断。
真っ直ぐ総菜売り場へ。
そこはお店で一番混んでいるエリアでもあります。
握り寿司を購入して自宅へ。
夕食にその握り寿司を食べました。
美味しかったしボリュームもあって、満足しました。
ところが。
30分もすると喉が渇いて渇いて・・・白湯をがぶ飲みするはめに。
これ、初めての経験ではありません。
スーパーや宅配のお寿司を食べた後、大抵こんな風になります。
寿司店などで食べた時にはなりません。
スーパーや宅配のお寿司限定で喉が渇くということは、品質を長時間保つために使っているようなものが、原因なのでしょうか。
謎です。
そこのスーパーの惣菜責任者は恐らくニンニク好き。
いろんな総菜にニンニクを入れる。
鶏の唐揚げといった定番ものでも、ニンニクをたっぷり使っていると謳って並べている。
ニンニクを使っているとは表記されていない鶏の唐揚げも、あることはあるのですが、その量は少ない。
ニンニク入りのが9に対して、ニンニクなしが1ぐらいの割合。
ニンニクなしの方は端っこに置かれていて、その立場の弱さを物語っています。
この割合、正しいですか? と責任者に確認したい。
売上データを見て作っているだろうとは思うのですが、ニンニクを使った唐揚げが、そうではないものの、9倍も売れていくものなのだろうかとの疑問が。
責任者の好みじゃなくて? と思ってしまいます。
スタミナ炒めと称した炒め物に、ニンニク入りと書いてあるのは受け入れるとしても、コロッケみたいなものにさえ、ニンニクが入っているものがあるっていうのは、フツーじゃない気がします。
「〇〇さんがまた、ニンニク入れろって言っているのよ」
「またなの? 好きよねぇ、〇〇さんはニンニクが」
なんて、総菜作り担当のパートスタッフたちの会話が、頭に浮かんできます。
それとも私が住む街は、ニンニク好きな人たちが多くいるエリアなのでしょうか。
謎、多し。
幼き頃、寝る前に母が本の読み聞かせをしてくれていたらしい。
記憶なし。
色々な本を読んで貰ったようですが、私の一番のお気に入りは桃太郎だったそうです。
記憶なし。
「今日はなにがいい」と聞くと、「桃太郎」と答える確率が異常に高かったという。
記憶なし。
毎晩のように同じ話をリクエストされるし、眠くなるしで、母がテキトーに端折って読んだりすると、「そこ、違うよー」と指摘していたようです。
覚えているくらいであるならば、読んで貰う必要があったのだろうかと、幼い頃の自分にツッコむ。
これまで本を読んできました。
読むスピードはどっちかというと遅い方なので、冊数としてはそれほどではないかも。
取りつかれたかのように一心不乱に読む時期があるかと思うと、まったく本に触れない時期もあり、読書熱には波がありました。
波はありながらも常に読書は身近でした。
20代の頃にアガサ・クリスティーに嵌り、読書録を記そうと何故か決めました。
当時は1冊読み終えるとノートに手書きしました。
勝手に点数を付けたりもしていました。
飽きっぽい私が、不思議とこの習慣を現在まで続けています。
今はパソコンの中にですが。
映画やテレビドラマも同様に感想を書きます。
どこかに発表するのではなく、あくまでも個人的感想を記録しておくのが目的。
だから遠慮せずに正直に書く。
後で読み返すと、恥ずかしくなるくらいに素直な感想が綴られています。
本にはあまりないのですが、映像作品には結構辛辣なコメントも。
こういう終わり方は有罪だとか、最後まで登場人物の誰にも感情移入が出来なかったとか、女優さんの胸の大きさしか記憶に残らなかったとか、この映画の企画書を読んだ人が、よく制作費を出そうと決心したよな・・・とか。
こんな辛辣なコメントをした映像作品であっても、数年後にもう一度見たら、評価が違う可能性もあります。
高校生の頃、ある映画をテレビで観ました。
名作という評判のあった映画でしたが、私は「長いよ」という感想しかもちませんでした。
20代になって、その映画をレンタルビデオで観ました。
主演女優さんの美しさと衣装の豪華さに魅了されましたが、それだけでした。
そして今から10年ほど前に、DVDでまたまた観る機会が。
すると・・・感動して泣きました。
不器用な女性がすぐ側にあった幸せに気付かず、大切な人を傷付け、結局独りになってしまうというストーリーに嗚咽。
この映画の素晴らしさに気付ける大人に、ようやくなったみたいです。
小説も映像作品も、受け手の熟成度によって味わい方が違うんですよね。
フリーライターをしていた頃、観光地にあるホテルに行きました。
夕食のバイキングが人気だというので、その取材でした。
カメラマンと2人で行き、そこの料理の写真を撮り、料理長から話を聞いてこいとのオーダー。
こういう時のアポ取りは編集者の仕事。
先方に取材の意図や内容などを事前に説明し、了解を取っておくのが編集者で、ライターは指定された時間に行けばいいだけになっているのが、通常パターン。
つつがなく取材が終わることもありますが、そうはならないこともある。
その日、編集者が行けと行ってきた時間は午後4時半でした。
カメラマンとそのホテルのレストランに行き名前を告げると、担当者が現れました。
担当者は言いました。「午後5時にレストランを開けてお客様を入れるので、それまでに写真はすべて撮り終えてくださいね」と。
無理。
全体写真の1カットぐらいは撮れるでしょうが、皿に料理を盛ってテーブルに所狭しと並べて、ほーらこんなにたくさんの料理が食べ放題といった写真を撮るのに、30分じゃ無理。
それが無理だということは、編集者だってわかっているはず。
なのにどうしてこんな無茶苦茶なスケジュールを組んだんだよと、編集者を問い詰めたい。
あれこれ話を聞いてみたら・・・ホテル側も30分で撮影出来るのかなぁと思ってはいたものの、プロが出来ると踏んでいるなら、出来るんだろうと思い、敢えて尋ねなかったとのこと。
一方の編集者側は午後5時までに撮影を終了しなくてはいけないという、マストな部分を聞き逃したか、忘れたかした。
それで料理が完成する時間しか確認したなかったと想像。
料理が完成する30分前から準備をすれば、丁度いいと判断したのでは。
更に料理長は忙しいので、そんな時間は取れないとホテル側はいう。
開店前の一番忙しい時間帯に、料理長から話を聞きたいなんて言われなかった。
もし言われていたら、それは無理だと断っていたはずだとホテル側はいう。
編集者とホテルのどっちが悪いのか。
わからん。
さぁ、どうする私。
ふとレストランの入り口へ顔を向けると・・・午後5時の開店まで20分ぐらいあるのに、すでに浴衣姿の宿泊客が並んでいる。
もう?
夕食食べるの、早くない?
夜、長くなるよ。
と、言いたい。
隅の方のテーブルを1つお借りして、そこで撮影させて頂けますかと一応尋ねてみる。
でもNGだという。
お客さんがいる場所での撮影はダメだとのこと。
これ、ホテルあるある。
そこにいてはいけない人が、写り込んだりする可能性があるので、ちゃんとしたホテルであればあるほど、お客さんがいる場所での撮影は許可されないのです。
では、どこか別室をお借り出来ないだろうかと粘ったのですが、そうした場所はないとのこと。
ホンマかいなと思いはしたのですが、諦めてカメラマンに大皿に料理が並んでいるところを引きで撮影して貰い、終了となりました。
この時は初めての経験だったので、ショックを受けたのですが、場数を踏むうちに現場に行ったら、話が全く通っていなかったなんてことが、そこそこあるとわかりました。
やがて対応力もついてきて、おたおたせずにその現場で最善を尽くそうとするように。
何事も経験ですかね。