副業

  • 2021年12月09日

友人A子はコロナの影響を思いっ切り被りました。
パートに入れる時間が激減したため、当然収入が激減。
他の仕事を探してみるも、なかなか見つからなかったそうです。

元々イラストを描くのが好きだったA子。
A子から貰うハガキには、いつも可愛いイラストがありました。
A子はイラストの発注、受注が出来るサイトに登録したんだとか。
やがてぽつりぽつりと依頼がくるようになったそうですが、金額的には小さい。
でも有り難うとか、素敵だとか評価されて、それがとても嬉しくて、メンタル的には満足していたそうです。

そのうちに注文が増えてきて、気が付けばパートで稼いでいた金額と同じくらいに。
A子はパートを辞めて、イラストの仕事に専念することにしたんだとか。
上手く転がったパターンですね。
フツーはこうはいかない。

B男が務めている会社が副業を解禁したそうです。
どういった副業をしているかの届け出は必要だそうですが、細かいシバリなどはなく、会社側はなんでもオッケーといったスタンスとのこと。

さて、なにをしようかとB男は考えたそう。
どうせなら本業を定年で退職した後も続けられて、社会貢献出来て、長時間の拘束はなくて・・・とたくさんの条件が頭に浮かぶ。
が、結婚相手と一緒で条件がたくさんあれば、あるほど、その実現は遠くなる。

「なかなか、これといった副業が見つけられなくってさー」とB男。
「でしょうね」としか言えない私。
それ以上話を聞くのがメンドーだったので「そのうち見つかるよ」とテキトーなことを言って、その場を終わりにしました。

それから半年後、副業探しの進捗状況を尋ねてみたら・・・「まだ見つかっていない」とのこと。
私はA子の話を引き合いに出して、特技をお金にする方法もあるよと言いました。
すると「俺の特技ってなんだろう」と考え込み始め、やがて「俺の特技ってなに?」と聞いてくる始末。

そもそも仕事が大変だとか、休みの日は昼まで寝てるなどと言っていたのに、仕事が終わった後や、休日に働けるのかと聞くと、「多分」となんともはっきりしない回答。
その程度の心意気じゃ周りに迷惑を掛けるから、止めておいた方がいいと忠告しておきました。

偉そうなことを言っている私ですが、以前ボランティアの登録サイトを見ていた時、提供できる特技を記入する欄があり「私の特技ってなんだろう」と自問した経験が。
しばらく考えた結果「私には特技がない」との結論に至り、情けなくって泣きそうになりましたっけ。

特技があるのと、ないのでは、人生にも大きな影響が。
あった方がいいですね、特技は。
今からもてる特技ってあるでしょうか。
と、今更ながらそんなことを考えました。
検索窓になんと入力したらいいのかが、わからない。

ブランコ

  • 2021年12月06日

自宅近くには、ちょっとした広場がたくさんあります。
公園とまではいかない広さ。
砂場があるだけ、ブランコがあるだけ、ベンチがあるだけ・・・といった小さなスペース。

先日、そうした場所の1つの前を通りかかりました。
そこにはブランコが2つだけ。
そのブランコに女子中学生2人がそれぞれ座り、お喋りをしていました。
「青い春だねー」と思いながら通り過ぎました。
学校でどれだけ喋っていても足りない。
だから放課後もお喋りをする。
これが青春です。

中学生の頃の自分はどんな放課後を過ごしていたかと、記憶を手繰り寄せてみますと・・・学校では寄り道が禁止でした。
多分。
だから表通りではなく、裏通りにある喫茶店が人気でした。
また外から中が窺えるような窓がある店は敬遠され、地下や二階の店が選ばれました。
たまたま通りかかった先生から、制服を見とがめられないようにです。

ある日友人に連れられて、今、人気だという店に。
地下の小さなその店には、自分と同じ制服姿の女子生徒がたくさん。
そこは焼きうどんの店でした。
それまで我が家やその周囲では、うどんを焼くという習慣がなかったため、衝撃を受けたことを覚えています。
「うどんを焼いちゃうんだぁ」と、そんなことに感動していました。

そうして焼きうどんを1人前平らげた後で、フツーに自宅で夕食を食べられたのは、若さ故でしょう。
若さって凄い。
今同じことをしたら、胃もたれして数日苦しむことになります。

中学生の頃、放課後焼きうどんを食べながら、どんなお喋りをしたのか・・・まったく覚えていませんが、きっと楽しかったんだろうなと想像します。
ただ一緒にいてただ喋っているだけで、楽しかったんでしょう。
振り返れば、もっと勉強しておけばと思ったりもしますが、ああいう時間はやはり人生においてとても大切なものだったとも感じます。

コロナ過の生活が続いています。
色々な制約の中で、学校生活を送る子どもたちは大変です。
そんな中でも青春を楽しんで欲しいと願っています。
一度きりですから。

ジーパンを

  • 2021年12月02日

ジーパンを滅多に穿きません。
恐ろしいほど似合わないから。
そうはいっても穿くべき時はあるので、1本だけもっています。

引越しの日。
そうそう、こういう日に穿くべきものよと思いながら、足を通してみたら・・・キッツキツ。
息を思いっ切り吸い込んでお腹を引っ込め、なんとかボタンを留めましたが、キツ過ぎて屈めないし、座れない。
座ろうもんならジーパンが凶器になって、私を襲ってくるといった状態。

おかしい。
医者から言われて毎日体重を計測しています。
何年も体重は増えていません。
だから太ってはいないはず。
なのに、ジーパンが穿けなくなっているのは何故か。
デニムってもしかして長くクローゼットに放置していると、縮んだりしますか?

と、責任転嫁して現実逃避している場合じゃない。
体重は変わらなくても体型が変わったんでしょうね、多分。

これまで無自覚なふりをしてはきましたが、実はちゃんとわかっていたのかも。
最近買った服を見てみれば、ウエストがゴムのフレアスカートばかり。
「私、何年も体重変わってませんから」と思っている一方で、ウエストがゴムのフレアスカートを買っていた・・・これが証拠。
ちゃんと心の底では自覚していたみたいです。

家から5分のところにスポーツジムがあります。
そのスポーツジムは2階にあり、1階にはスーパーが。
スーパーに買い物に行く度に看板を見上げて、こういうところで運動するべきだろうかと考えます。
運動といえば、映画を観ながら青竹踏みをするぐらいしかしていない私。
こういうところで、ちゃんと運動するべき時なのかもと思うのです。
が、その看板には西洋人の若く美しい女性が、均整のとれた身体で、ウエイトリフティングをしている写真が使われていて、現実の私との乖離が大き過ぎて、そこで運動する自分を想像出来ないのです。
ごくフツーの女性が、楽しそうにランニングマシン上を歩いていたりする写真の方が、私には刺さる。
刺さるとか、刺さらないとか言ってないで、見学でもしてみたらどうかとの声もあろうかと思うのですが、重い腰は上がりません。

散歩がてら隣の駅まで歩いてみるといった程度で、お茶を濁しています。
えっ? ジーパンはどうしたのかって?
クローゼットの中に入れてあります。
もしかしたらすっと穿けるようになるかもしれない。
そんな奇跡が起こらないとも限りませんからね。
そんな奇跡が起こると考える根拠はゼロなのですが。

修理を

  • 2021年11月29日

新聞を読んでいたら見慣れない言葉を発見。
それは「修理する権利」。
アメリカのバイデン大統領がこの「修理する権利」を広げる意向を示したんだとか。

なにかが壊れたら取扱説明書を引っ張り出します。
「故障かなと思ったらまずはここをチェックして」といったページが大抵あるので、そこを読み、機械の調子が悪いといったレベルではなく、どうやら本格的に壊れているようだと判断すると、カスタマーセンターに電話。
そして「只今電話が大変混み合っております」といったアナウンスを延々と聞かされる。

自分で買ったものではなく貸主のものである場合は、管理会社に連絡をして修理の依頼をする。
この2つのパターンしかないと思っていました。
が、どうやら私には「修理する権利」がある模様。

この大統領の意向に沿ったのか、アップル社がiPhoneを自分で修理したり、電池を交換したりすることを、容認することにしたと記事にはありました。
この文章からすると、これまでは自分でやったらダメ、そんなこと認めないとしていたのを、方針を変更して、客が修理しても許してやるということなんでしょうかね。

今後は電池やディスプレー、カメラなどの部品や工具が、ウエブサイトで購入出来るようになるそうです。

腕に自信があれば、自分で直した方が安いでしょうし早そうです。
こういうのが得意な人はいいですね。
私はまったくダメなので、自分でやる気にはなりませんが。

以前、空気清浄機の中を掃除しようとした時のこと。
取扱説明書を見ながら分解。
掃除機で埃を吸い取ったり、フィルターを洗ったりして、さぁ元に戻そうと思ったら・・・中に収まらない。
だから蓋を閉めることが出来ない。
何十回取扱説明書を読んでも、その通りにならない。
もうヤだ。
新しいのを買おうか。
いや、これを捨てるのも粗大ごみセンターに申し込んで、処理券を購入してと、メンドーだからやっぱりこれを使いたい。
と、目の前の空気清浄機に気持ちを戻して、挑戦を続けることに。
結局、その日のうちに完成出来ず。
翌日になり、もうどうにでもなれといった気持ちで、部品を強く押し込んでみたらカチッと嵌る音が。
なんだよ、遠慮せずに強く押し込めば良かったのかよと呟く。

この程度の私ですから、スマホを自分で直す気持ちにはまったくなりません。
私が心配するのは、自分でスマホを直す人がどんどん増えた結果、カスタマーセンターが縮小されていき、今よりも更に電話が通じなくなるのではないのかという点。
世の中の進歩から遅れている人へのサービスも忘れないでねと、お願いしたいです。
「修理を頼める権利」も私はもっていると思うのです。


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