世の中に「お金持ち」の人たちがいると知ったのは、いつだったのか――。
ポンコツの私でも恐らく小学生の頃には、うっすら気が付いていたように思います。
それは身なりなどではなく、何気ない会話の中で「へ?」と思う瞬間があった時に、なんか私とは違う生活をしているっぽいぞと気付くのです。

大学生の頃のこと。
誕生日を控えたクラスメートに予定を尋ねました。
するとちょっと哀しそうな顔で、家族でどこかで食事をするんだと思うと言いました。
予定と表情が間違ってない? と思った私は「それで、なんでそんな哀しそうな顔なの?」と尋ねました。
彼女は答えました。
だって去年は家にお友達を100人呼んでパーティーだったのに、今年は地味だからと。
家に100人?
腰が抜けそうになりました。
別のクラスメートは地方出身。
大学の近くで一人暮らしをしている彼女の部屋に遊びに行くと、3LDK。
ひと部屋は衣裳部屋になっていて、ひと部屋は寝室に、最後のひと部屋は勉強部屋でした。
「家賃高いんじゃない?」と聞くと、「わからない」と答えるクラスメート。
親が家賃を払ってくれてるからわからないの? と更に尋ねると、「借りているのではなく買って貰ったもので、その金額は知らない」とクラスメートは言いました。
大学には寮があったのですが、そこに入れるのではなく、娘のためにマンションを買っちゃう親がいるということに私は驚愕しました。
社会人になって販売仕事をしていた時にも、様々なお金持ちを見かけました。
かなり高額の商品を扱っているお店だったからだと思います。
当時20代に見える男性が店にぶらりと入って来て、スーツに目を留めました。
そこは靴のブランド店で靴はかなりの高価格だったのですが、スーツやワイシャツ、ネクタイなどはライセンス品のためお手頃でした。
そうはいっても靴と比べればという話で、庶民が気軽に買えるという価格ではありませんでした。
男性客は20万円ほどのスーツの値札を見て「安いっ」と驚きの声を上げました。
そして振り返り「この値段間違ってない?」と聞いてきました。
私はとことこと男性客に近付いて、彼が持っている値札を覗き「合ってます」と答えました。
「なんでこんなに安いの?」と質問された私は、答えに窮します。
普段はどうしてこれだけいい値段なのかを「イタリア製の素材だから」「職人が手作業で」「一つひとつ丁寧に」「大量生産ではないので」といった言葉で煙に巻いていました。
逆に「どうしてこんなに安いのか?」と問われた時の回答を用意してはいませんでした。
困った私は「ご試着なさいますか?」と次のステップへ進ませてしまおうと試みました。
「そうだね」という男性客に「サイズはおいくつぐらいですか?」と尋ねると、「わからない」と言われました。
あっ。
この人はもしかしてオーダーでしか服を買ったことがないんじゃないの? と思った私は、「いつもオーダーですか?」と尋ねました。
すると「そう」と頷きました。
そして少し興奮した顔で「信じられないよ、こんなに安いなんてさ」と言います。
彼は生まれて初めて吊るしのスーツの値段を見たのでしょうか。
それまでの価値観をひっくり返されて驚いている姿は、無垢な赤子のように見えました。
彼を国道沿いに建つ紳士服の専門店に連れて行ったら、心臓発作を起こすのではないかとも思いました。
世の中には「お金持ち」がいるんだぜというお話でした。
近所のレストランの外壁に1枚の張り紙が。
『亀を返してください』と書いてあります。
はっとして水槽に目を向けると、いつもそこにいた亀がいません。
その亀は大抵首を思いっきり上に伸ばしていて、必死で水面に顔を出そうとしているように見えました。
その姿を見る度水の量は適切なのかと考えたものでした。
もう少し水量を少なくしてあげれば、そこまで首を伸ばして空気を求めることもなかろうにと思っていました。
また、亀は肩が凝ったりしないのだろうかとの疑問を抱いたりもしました。

その亀がどうやら盗まれた様子。
張り紙には今は亡きお祖母さんがプレゼントしてくれた大切な亀で、家族の一員だった云々と書いてあります。
それは盗人へのメッセージでした。
盗人にこの事情を汲み取れるほどの良心があればいいのですが。
このレストランは性善説を取っているようだというのはわかっていました。
店の前に大量の植木鉢を置いているのです。
それらの植木鉢はどれも見事に咲いていて、ベストな状態であり、またその種類は日々変わりました。
勝手な推測をすれば、裏庭で育て花が開くと店の前に移してお披露目をし、花の時期が終わると引っ込めて、開花時期になった別の鉢植えを出すといったルールにしていたのでは。
そしてそれらの立派な花々は、お披露目期間中はずっと外に出しっ放しでした。
中に仕舞って店の扉を閉めるといったことはせず、外に置いたまま。
盗まれないもんだなぁと、ある意味感心していたぐらいでした。
亀のいる水槽も同様に外に出しっ放しでした。
こっちが予想もしていないものが、盗まれてびっくりといった経験があります。
自動車に付けていた初心者マークは4枚盗まれました。
自宅から徒歩で1分ほどの住宅街の中にあった駐車場に行くと・・・「あっ。またやられた」といったことが4回。
初心者マークを盗んでどうすんの? と思いましたね。
盗人も初心者だったのか?
だったら1枚で充分じゃないのって話です。
それとも盗人は4人いたのか?
真実は今でも謎のままです。
小学生の頃は自転車にチリンチリンを付けた日に、盗まれたことがありました。
自転車を公園の端に置いて遊んでいる間に、付けたばかりのチリンチリンが盗まれたのです。
ショックを受けた記憶があります。
当時はなんだってチリンチリンを盗んだんだろうと不思議に思っていましたが、今考えるとどうして自転車は盗まれなかったのだろうと、そっちを不思議に思います。
そして亀だけ盗まれたというのも哀しい話ですし、不思議でもあります。
水槽は残して亀だけ盗んで、それからどうするのでしょう。
どこかで売るんでしょうか。
盗まれたのではなく、自ら逃亡したということはないのでしょうか。
海を見たくて冒険の旅に出たとか。
そっちだったらどんなにいいか。
亀が無事か、元気でいるかが気がかりです。
多くの時間身に着けているのは割烹着。
以前はエプロンだったのですが、ここしばらくは割烹着を愛用しています。
自宅内は勿論近所にあるポストに投函しに行ったり、ゴミを捨てに行ったりする時にも割烹着姿です。

秋冬に着ていたのは遠赤外線効果がある裏地が付いた割烹着でした。
春夏用のは麻素材のものを使っていましたが、劣化が激しくなってきたため、この春に新調しました。
やはり麻素材のものです。
で、これにはちと問題が。
着用してすぐ歯を磨いていた時のこと。
苦しい。
なんだ、この息苦しさは。
と思ったら、割烹着の襟元の布が私の首を圧迫してきていたのです。
おいおい。
その割烹着は丸襟タイプで、その襟の最上部が首に当たって来る。
着方が悪かったんだなと反省し、肩のあたりの布を前に引っ張るようにして、前身頃の布を前方へたるませる。
息苦しさはなくなり無事に歯磨きを終了。
が、これだけで終わらなかった。
割烹着が私の首を圧迫してくる事態が、しばしば起こるのです。
その度に肩のあたりの布を前に引っ張るようにして、前身頃の布を前方へずらす必要が。
私の身体のつくりが変なんでしょうかね。
だから割烹着の布が後ろへ後ろへと、行きたがってしまうのでしょうか。
更に座る時にも工夫が必要。
そのまますとんと座ってしまうと、割烹着の後ろ身頃にお尻が載ってしまい、布が後ろへ引っ張られるせいで、私の首を圧迫してくる。
なので、座る時には割烹着の裾を持ち上げて、お尻の下に敷かないようにしなくてはいけない。
なんだろう、このメンドー臭さ。
新調したばかりなので、目立つ場所に穴が開いたといった状態になるまでは、使い続けるであろう割烹着が、予想外に手間のかかるヤツで、これから先のことを考えると、少しブルーになります。
またこの割烹着を着るようになってから、屈むという行動が日常生活の中にしばしばあることを知りました。
それまで意識していなかったのですが、屈む度に割烹着が私の首を圧迫してくるので、その苦しさによって「あ、屈んだからか」と気付くのです。
例えば・・・
ゴミ袋の口を結ぼうと屈んだ時、ぐっと苦しくなる。
風呂場の掃除をしようと屈んだ時、ぐっと苦しくなる。
洗濯物を洗濯機に入れようと屈んだ時、ぐっと苦しくなる。
まさか割烹着に、日常の中の身体の動きを意識させられるとは思ってもいませんでした。
皆さんも割烹着の襟首にはどうぞお気を付けください。
友人A君の奥さん、B子は慎み深い女性。
夫婦主催のホームパーティーでのB子は、全員に気を配り黒子に徹する。
優秀な中居さんといった感じ。
こうした集まりでB子はほとんど自分の意見を言わない。
聞き役に徹し、その瞳は常にテーブルのグラスや皿に向けられている。
空になっていないか、料理は足りているかといったことに注視している模様。
誰かがB子に質問しても「さぁ、どうなのかしら?」と自分では答えず、A君に問いをそのまま投げることで、回答権を譲る。
常に夫をたてて一歩下がった位置にいる女性。
絶滅したと思っていましたが、まだ生き残っていたのです。
先日行われた食事会にA君が参加していました。
その日B子さんはいませんでした。
昔話が出た時に「そういえば久しぶりにディスコに行ったんだよ」とA君が言い出しました。
行ったのはクラブではなくて、昔のディスコを復活させたようなお店だったそうです。

若い頃行っていたディスコで流れていた曲ばかりがかかり、お客さんたちもおじさんとおばさんばかりだったとか。
懐かしくて楽しかったそうですが、数曲踊ると身体が悲鳴を上げるので、しばしば休憩しなくてはならず、現実を感じたと語っていました。
「ほら、その時の写真」と、見たいと言ってもいないのに、A君がスマホの写真を見せてきました。
しょうがないので写真を覗くと・・・A君の隣に派手な感じの女性が。
水色のアイシャドーを瞼にべったり塗ったその女性を、どこかで見たような気がする。
A君が指で画面を撫でると次の写真に。
そちらには二人の全身姿が。
A君の隣にいる女性は前の写真と同じ人で、ボディコンのコスプレをしている。
下着が見えるんじゃないかぐらいのミニスカートで、身体のラインがはっきりと出ている。
次の写真では、そのコスプレの女性が一人でお立ち台で踊っている姿が。
三十秒ぐらい見つめてから「これって、もしかしてB子さん?」と私は尋ねました。
「そうだよ」と当たり前だといった顔でA君が頷きます。
思わずスマホを奪い取り、改めてB子のコスプレを観察しました。
「B子さんには双子の妹がいるとかってオチじゃないの?」と聞くと、「なんだ、それ」とA君は笑いました。
いつものB子さんっぽくないと私が指摘すると、この日は特別で昔を懐かしがろうという企画に合わせてくれただけだと、A君はなんでもないことかのように言ってのけました。
果たしてそうでしょうか?
その写真の中のB子はとびっきりの笑顔でした。
そしてそれは、それまで見たことがないものでした。
心から楽しんでいるといった風に見えたのです。
もしかするとこっちがB子のホントーの姿なのではないかと、勘繰りたくなろうってもんです。
だとするなら普段のB子は演じている?
それとも両方の面をもっている?
私はB子のごく一部分だけしか見ていなかったということでしょうかね。
いずれにしても、人は奥深く謎に満ちていると改めて思ったのでした。