玄米

  • 2011年11月10日

玄米を主食にしています。
健康にいいと、どこかで聞きかじり、玄米食を食べていまして、ここ三年ほどは、家に白米は置いていません。

「健康にいいんだよ」と、母にも玄米を勧めますが、「ビンボー臭い」と嫌がって、食べません。
昔の人なので、白米が最高のものだとの認識があるようで、それ以外は一切認めてくれません。

 子どもの頃、実家の向かいには米屋がありました。
お使いを頼まれた中に、「米」と書いてあると、まず、向かいの米屋に行き、「いつものお願いします」と声をかけます。
母が書いたメモを見ながら、買物を続けるのですが、半分遊びながらですから、時間がかかります。
文房具屋で折り紙の新しい柄が入っていないかチェックしたり、本屋で次のお小遣いを貰ったら買う本を選んだり・・・。
一番時間がかかったのは、肉屋でした。
当時は、こうして子どもが1人でお使いをするのが日常的で、子ども向けの工夫がどの店にもありました。
肉屋では、ガラスケースの前に木製の台があり、子どもたちは、まず、そこに「よいしょ」と上ります。これで、ガラスケースの向こうにいる店員と目の高さが合うようになります。
そして、親から持たされているメモを読みあげます。「メンチカツを3枚と、ポテトサラダを200グラムと・・・」
この店では注文が入ってから、メンチカツやコロッケを揚げてくれるシステムでした。店内には、出来上がりを待つためのベンチが用意されていて、子どもたちは、そこに横一列になって座ります。店員が、焼いたウインナーやポテトフライを爪楊枝の先に差して、子どもたちに配ってくれます。
タダでオヤツを貰えるので、子どもたちは肉屋へのお使いが大好きでした。
揚げ物が出来上がると、順に名前が呼ばれます。
「○○君」「○○ちゃん」
私は肉屋で名乗った記憶はありません。
ですが、店員は私の名前を知っていました。
この店に限らず、近所の大人たちは皆、私の名前を知っていました。
近所付き合いが濃い下町のせいだったのか、それとも、そういう時代だったのでしょうか?

 揚げたてのメンチカツを手に、のんびり歩いていると、1台のバイクが近付いてきます。
米屋のバイクでした。
さっき、「いつもの」という通な注文を受けてくれた、米屋の男性店員です。
「まだお使いかい? 寄り道ばっかりしてんだろう。米は随分前に、おうちに配達してあるよ。さっさとおうちに帰りなさい」と、言われてしまいます。
「は~い」と答えるものの、速度を上げたりはせず、私はマイペースで歩き続けるのでした。

 子どもの頃には、こうした毎日が繰り返されていました。
今、振り返ってみると、近所の大人たちが、子どもたちに目を配っていたことがわかります。
記憶を辿って書いているうちに、私はいい町に、いい時代に、子ども時代を過ごしたんだなぁと、しみじみとしてしまいました。

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