あの日

  • 2015年03月12日

あの日感じた恐怖。
そして無力感。
生涯忘れることはないでしょう。

未だに先の見えない暮らしを強いられている人たちがたくさんいることが、なんとももどかしいです。

物語なんか吹き飛ばすほどの、現実の破壊力を目の当たりにして、しばらく執筆ができませんでした。
ただ呆然としているだけの日々を過ごしていた時、自分にできることをしていくしかないのだと思うようになったのは、なにがきっかけだったのかよくわかりません。

あの日から1ヵ月ほど経った頃、テレビを見ていたら、街頭インタビューの映像が流れてきました。
アダルティーな女性は、友人と食事をしに行くところだと答えています。
そして、こう続けました。
「震災があってから、恐怖感もあって家に引きこもっていたけれど、もしかしたら今日この生活が終わってしまうかもしれないんだと思ったら、毎日を精一杯楽しまなくちゃ勿体ないし、申し訳ないような気になったのよ」と。
inntabyu-
その言葉を聞き、それが正解にとても近いのではないかと思いました。
ある日突然やってくる「終わり」を怖がるのではなく、だから精一杯今を生きるというのが。
備えたり、想定したりといったことは十二分にしておくのは勿論、一瞬一瞬を大切に過ごしていくのが、生まれた者の使命のような気がします。

でも、これ意外と難しい。
ふと気が付くと、ぐだぐだと時間を浪費していたりする。
今日なにしたっけな? と首を捻っても思い出せないような日もあったり。
毎日を丁寧に生きていく――結構な努力をしないとできないことかもしれませんね。

ブログ内検索

  • アーカイブ


  • Copyright© 2011-2024 Nozomi Katsura All rights reserved. No reproduction and republication without written permission.

    error: Content is protected !!
    Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.