感謝の気持ちを

  • 2017年01月12日

OL時代のことを振り返ってみると、たくさんの反省点が浮かびます。
その中の1つに「人を褒めなかった」というのがあります。
感謝の気持ちはあっても、「有り難う」のひと言で済ませてしまっていました。
それで自分の気持ちは伝わっているだろうと思い込んでいました。

齢を重ねるうち、感謝の気持ちはちゃんと言葉にしようと思うようになりました。
それも出来るだけ具体的に褒めるようにしようと心がけるように。

問い合わせをしたコールセンターの女性オペレーターが、とても素晴らしい対応をしてくれた時には「あなたの説明はとてもわかり易くて、知識のない私でも理解することができました。どうも有り難う」などと言うようにしています。

日頃お世話になっている編集者にも、なるべく具体的に感謝の気持ちを言葉にするようにしています。
「〇〇を指摘してくれて有り難うございます。原稿を深くしっかりと読み込んでくれるのが〇〇さんの素晴らしいところです。いつも感謝しています」
「いつも先回りして、準備や手配をしてくれて有り難うございます。〇〇さんのお陰でいつも私は安心してお任せすることができます」
といった感じに。
kannsya
こうした感謝の言葉を表明するには、対面して言うのが一番いいのでしょうが、ついほかの話に夢中になって「あっ、言い忘れた」なんてことも。
そんな時は文字にして、メールや手紙で伝えます。
メールや手紙のいい点は、一旦頭の中で整理できること。
自分の気持ちを把握し整理した上で、言葉を選んでから書くので、ある程度きちんとした表現ができるような気がします。
それなら声にして出す時と一緒じゃない? との質問が出るかと思います。
自分の気持ちを把握し整理した上で、声に出せばいいわけで、表現方法が声なのか、文字にするのかの違いなだけとのご意見もあるでしょう。
確かにその通りなのですが、私の場合は脳と手の接続は普通なのですが、脳と口の接続は悪いのです。
多分どこかで詰まっている。
それで、思っている半分も話せていないという感覚が付き纏っています。
我ながらじれったい。
それで話すという行為より、文字にして表現する方が自分の気持ちをきちんと伝えられると思っています。
この口では表現できない分を、文字にしてカバーしたいという思いが、作家への道を歩ませたのかもしれません。

自筆の手紙の場合は字が下手なせいで、伝えたい感謝の気持ちが半減しないだろうかとの不安を抱きつつなのですが。

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