車の運転

  • 2020年02月13日

自動車の運転を最後にしたのはいつだったのか。
ちょっと思い出せない。
それぐらい運転をしていません。
もはや運転出来る気が全然しない。
高齢者による交通事故のニュースを見聞きする度、他人事じゃないと思います。
そう思うと益々ハンドルを握ろうとの気持ちにはならない。
都内で暮らしていると電車とタクシーで大抵の所には行けるので、車を運転しなくても日常生活に支障がないことも、運転から遠ざかる理由でしょうか。

ほとんどの時間を自宅兼仕事場で過ごす私は、買い物もネットで済ませます。
このような生活をするのであれば、なにも家賃の高い都内に住む必要はないのではとの考えが浮かびます。
そこで地方の家賃はどんなもんなのかとネットで調べてみると・・・安い。
やはり東京よりリーズナブル。
引っ越そうか。
と、本気で考え始めた時に頭に浮かんだのは車のこと。
都内であれば電車が網の目のように張り巡らされていて、乗り継げば、どこにでも簡単に行けますが、地方ではそうはいかなさそう。
恐らく車がないと日常生活に支障をきたすでしょう。

昔、ライター時代に地方の観光地で取材を終えた私が、その日泊まる予定のホテルまでの行き方を、取材先の方に聞いたところ・・・「車しか方法はない」と言われてしまいました。
「電車は?」と尋ねると、「もう終わった」と言われて、時計を見ると午後6時。
私は呆然として「もう終わった・・・」と繰り返すしかありませんでした。
「バスはどうですか?」と思い付いた別の手段を口にすると、「もう終わった」と同じ回答が。
その町は午後5時で活動を止めてしまうと知り、立ち尽くした苦い思い出が。
結局、カメラマンに拝み倒してホテルまで送って貰い、事なきを得ました。
一番のとばっちりはそのカメラマンで、私が行きたいホテルまで、車を運転させられる羽目に。
でも彼が泊まる予定のホテルは反対方向にあったので、3時間ぐらい余計な労力を使わせてしまいました。
このように地方では観光地といえども、車がなければ話にならないのです。
元々運転が下手だったのに、判断力も鈍っているであろう私が、車を自在に操れる訳もなく、地方で暮らすとの考えは消え去りました。

自動運転機能は大分進んでいる様子。
駐車スペースにすんなりと車を入れられたり、ブレーキとアクセルを踏み間違えても、ストップしてくれたり、といった機能の車のCMを初めて見た時・・・「嘘だぁ」と思いました。
その後、他のメーカーからも様々なアシスト機能が発表されるのを見るうち、どうやら世の中は凄いことになっているようだぞと、認識するに至りました。

もうなにもしなくても、運転席に座って目的地を入力するなり、命令しさえすればいい世界も近いのでしょうかね。
アクセルやブレーキだけでなく、ハンドルさえも握ることなく、ただ座っていればいいのであれば・・・そうなったら地方で暮らすことを、再検討しようかと思います。

騒音

  • 2020年02月10日

公害とされているものの中で、1番苦情が多いのは騒音だそうです。
除夜の鐘、子どもの声、消防署のサイレンの音などに対して、苦情が寄せられるのだとか。
騒音が理由で保育所の新設が出来ない街の話を、以前テレビのニュース番組で見たことがあります。
その時、私はちょっと驚いたのですが、どうやらそこだけの話ではなく、どこにでも起こり得る事態だったみたいですね。

これは音に対する寛容さが減っているということなのでしょうか?
それとも地域内のコミュニケーション不足が原因なのでしょうか?

我が家の向かいには高層マンションがあります。
そこの2階にはちょっとしたスペースがあり、マンションの住民たちだけが使えるようです。
そこが月に1度程度、子どもたちに開放される様子。
子どもたちの大盛り上がりしている声が聞こえてきます。
盛り上がってるなぁとは思いますが、煩いとはまったく思いません。
でもこういう子どもたちの声を、煩いと感じる人もいるのかもしれませんね。

昔々、私がまだ子どもだった頃、ピアノの音が煩いと、同じマンションに住む人を殺すという事件がありました。
これは当時、驚きをもって報道されました。
なんて恐ろしい世の中になったのかしらと、大人たちは言い合っていました。
そんな中、ピアノを習いたくもないのに、習わされていた私は「だってご近所に迷惑だから」と練習をしない言い訳が出来ると考え、しめしめと思った不届き者でした。

最近になって音に関するトラブルや苦情が増えたというよりも、昔からあって、それが徐々に増えているといったことなのかも。

元々耳の感度が悪い私は音に対して鈍感なので、煩っせぇなぁと思うことは滅多にありません。
滅多にないけれど、たまにはあります。
例えば渋谷駅周辺を歩いている時。
扉を開放した店内からは、音楽やキャンペーンを説明する声などが迫って来ます。
こうした録音されたものだけでなく生の音もあります。
店頭に立ったお兄さん、お姉さんがマイクを握って、ライブで訴えかけてくるパターン。
たったの20分で機種変更が出来ると訴える声には鬼気迫るものがあって、無視するのは不可能なほど、耳に圧を掛けてくる。
音が混じり合い攻めてくる中を、目的地を目指して歩いている時、顔を顰めている自分に気が付きます。
耐えているんでしょうね、恐らく。
それで眉間に皺を寄せて歩いているのでしょう。
でも渋谷駅周辺を歩いても全然平気な人たちもいる。

なにを騒音と思うのかは人それぞれなんでしょうね。

新型肺炎

  • 2020年02月06日

新型肺炎が猛威を振るっていますね。
ニュースなどで感染者数が物凄い勢いで増えていくのを見聞きする度に、その感染力の強さに驚きます。

対策としては風邪やインフルエンザの時と同じで、うがい、手洗い、マスクが大事なようです。
そうしたニュースを「へぇ、そうなのかぁ」とのんびり見ていた私。
次の考えに辿り着けない。

私は毎晩マスクをして寝ています。
年中鼻詰まりなため呼吸が苦しくなり、口を開けて寝てしまうことが多く、そうすると喉がカラカラになって、炎症を起こすという悪循環に陥り易いので、これを避けるためにマスクが必要なのです。
在庫がなくなりそうになったので、いつものネットショップを検索したら・・・ない。
あっ。
もしかして。
皆が買い溜めしてるから?
やばいぞ。
焦る心を抑えつつネット検索をし続けるも、どこも売り切れ。
完全に出遅れてしまったようです。

2011年の震災は金曜日でした。
私がスーパーに買い物に行ったのは日曜日。
食材が手に入らなくなるかもしれないなんて、ほんのちょっとも考えが及ばなかった故の出遅れです。
そこで大きく反省したはずなのに、今回も同じことを繰り返してしまいました。
教訓を全く生かせていない自分にがっかりです。

更にがっかりなのは、先日大量にマスクを捨ててしまったこと。
我が家には随分昔に買ったマスクが大量にありました。
それは普通のマスク。
敏感肌の私はそれをすると顔がむずがゆくなってしまい、別のメーカーのものに変更したため、クローゼットの中に長いこと眠っていました。
いい加減処分しなきゃと重い腰を上げて、まずはメルカリに出品。
ところが売れない。
付けた価格が悪かったのか、2週間経っても売れませんでした。
そこで出品を中止して、マスクを燃えるゴミの日に出してしまいました。
何年もクローゼットの中に放置していた癖に、よりによってこんな事態になる直前に廃棄してしまったなんて。
顔がむずがゆくなろうと、ないよりはましです。
勿体ないことをしてしまいました。

そしてこの経験が「いつ必要になるかわからないから、取っておこう」との気持ちを強くしてしまいそうで不安になります。
それじゃなくても整理整頓が苦手なのに「マスクの時のようになるのは嫌だから、取っておこう」との言い訳が出来てしまい、狭い部屋が益々モノで溢れる状態になってしまいそう。

今はこの新型肺炎が一刻も早く収束するよう祈るばかりです。

気持ちの立て直し方

  • 2020年02月03日

辛い目に遭う。
哀しい出来事に襲われる。
そんな経験があります。
しばしばとまでは言いませんが、そこそこ経験があります。

こうした状態から、どうやって気持ちを立て直してきたのかと考えてみると・・・時間だったなと思います。
これをしたから傷が癒えたとか、心が軽くなったといった秘訣のようなものはなく、ただ毎日を過ごしているうちに、徐々に、でも確実に回復に向かっていくのです。

A子は最近、哀しい経験をしました。
深く心が傷ついたそうです。
この痛みをどうしたらいいのかと考えたとのこと。
飲んだくれるか、旅に出るか、友に愚痴るか、買物をしまくるか、或いはホストクラブで金を使いまくるか、思い付く限りの憂さ晴らしを検討してみたそうです。
でもどれも違う気がしたといいます。

結局、A子はパチンコ店に行くことにしたんだとか。
1日のほとんどを盤面を見て過ごしてみたそうです。
煩くて、目がチカチカして、不快なはずなのに、気が付けば心が無の状態になっている。
そして5日目に「もういいわ」と思ったそうで、気持ちが切り替わっているのを自覚したそうです。
気持ちの立て直し方は人それぞれですね。
本来の朗らかなA子に戻った姿を見てほっとしましたし、パチンコって凄いわと思いました。

他の皆はどうしているのかと聞きまわってみると・・・B子は鉄塔を見に行くと言い、C子は海外のテレビドラマを見続けると言いました。
D男はキャバクラに行き、E男はふて寝するとのことでした。
そんな中F子が本を読みまくると答えました。
待ってました、その答え。
「どんな本を?」と尋ねると、なんでもいいそうなのですが、極力そのような事態になった原因とはかけ離れたテーマの本を、読むようにしているとのこと。
時代物や海外小説、SFなんかがいいと言います。
また哲学書のようなものも結構イケるそうです。
チンプンカンプンながらも文字を目で追っているうちに、1ページぐらいで眠くなってくれるので、簡単に夢の中に逃避出来るんだとか。
これは眠れない時にも使えるアイデアですね。

皆に色々聞いて思ったのは・・・辛い目に遭ってないなんて人はいないってこと。
誰しも辛い目に遭うし、哀しい出来事に遭遇します。
だから今もしなにかで傷付き、心が塞いでしまっている人も、あなただけじゃないって点に目を向けてみてください。
すべての人がそうした経験をして、でも歩き続けています。
笑顔で前に進める日は必ずきます。
だから今は苦しくても、その痛みが薄まる日がくるのを待ちましょう。

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