耳の調子が

  • 2021年10月28日

右耳の調子が悪くなりました。
音がこもって聞こえるのです。
少しエコーが掛かっているような時も。
同じような症状で2回、病院に行った経験があります。
2回とも耳に異常はなく、鼻の奥が炎症しているからだろうと医師から言われました。
鼻の炎症を抑える飲み薬を処方して貰い、1週間ほどで治りました。

そして今度で3回目。
学習した私は、鼻の奥の炎症を抑える市販薬を飲みました。
ちょうど引っ越し前のバタバタの時期だったので、自力で直す方法を選択したのです。
元々慢性副鼻腔炎の私は、鼻の奥の炎症を抑える市販薬は常備薬として用意していたので、これを飲み始めました。
ところが2週間飲み続けても、一向に右耳の違和感は消えてくれません。
その間に引っ越しを実施。
新居の近くの耳鼻咽喉科を探すことに。

情報はネットを頼らざるを得ません。
クリニックのHPを見ます。
すると慢性副鼻腔炎の治療として、手術について書かれたページがやけに詳細。
手術する気アリアリ。
それがちょっと怖い。

初めて行った耳鼻咽喉科で慢性副鼻腔炎を指摘されてしまい、手術を受けるよう勧められてしまったら、どうしたらいいのでしょう。
あなたのことを信用出来ませんなどと言える勇気はなし。
心の準備が出来ていませんと言えば、許して貰えるでしょうか。

手術する気が薄そうな病院を必死で探す。
検索するエリアを徐々に広げていったところ・・・やっと1つのクリニックを発見。
ネットで予約するシステムのようなので、早速予約。
それから自宅からその耳鼻咽喉科までの行き方をチェック。
この順番が間違っている。
先に行き方や掛かる時間を調べてから、予約するかどうかを検討すべき。
それが賢いやり方。
でも賢くない私は、予約した後で行き方を調べました。

地図アプリで徒歩で18分と出ました。
バスを使うと17分とある。
微妙。
18分歩くのはちょっと大変だけれど、バスは時間が読めないので徒歩で行くことを選択。
引越してきたばかりで周囲のことを知らないので、ちょうどいい機会だから、散歩&探索がてら歩こうと思ってしまったのです。
なんて浅はかな考えでしょう。
己の体力を過信していました。

18分歩きヘロヘロの状態で耳鼻咽喉科に到着。
色々調べて貰った結果、耳に異常はないとのこと。
ビタミンB12の薬と、耳の周辺の血管の動きをよくする薬を貰う。
鼻の炎症じゃなくて? と思いましたが、医者の数だけ治療法はあるのかもしれないと、自分を納得させて帰宅。

半信半疑ながら薬を飲み続けること3日。
右耳の違和感が、小さくなっていることに気付きました。
ん?
もしかしてあの女医さんは名医なのかもと思い始める。
そして薬を飲み続けて1週間で、右耳の違和感は消えました。

同じ症状ではあったけれど、前の2回と、今回では違う原因だったのでしょうか?
なんだかよくわかりませんが、18分歩いたのが無駄にはならなかったのが良かったです。
それにビタミンB12への興味が芽生えました。

ドレッサーを

  • 2021年10月25日

ドレッサーを買いました。
人生初です。

実家で暮らしていた頃は、ドレッサーを置けるスペースはありませんでした。
ピアノの鍵盤蓋の上に道具を並べて、小さい鏡を覗きながらメイクをしました。

一人暮らしを始めてみれば・・・やはりドレッサーを置けるスペースはなし。
ポーチに一式入れておいて、メイクする時にはそれをデスクに運び、そこで行いました。

その次の部屋にも、ドレッサーを置けるスペースはなし。
たまたま洗面台が広かったので、そこで立った状態でメイク。

ドレッサーを部屋に置ける人って、一体どんな人よと思っていました。

新居で暮らし始める中、70箱あった段ボールの中身を棚に収納していき、収まらないものは新たに棚を購入して、そこに押し込みました。
棚の中はひっちゃかめっちゃかであることには目を瞑り、部屋を見渡せば・・・スペースがあると気付く。
これはもしかすると、ドレッサーを置けるかもしれない。
いや、置く必要が私にはある。
なにせ新居の洗面台は極狭。
メイク道具を置けるスペースはゼロに等しいため、背後にある洗濯機の蓋の上に並べるしかないのです。
化粧水を塗ったら身体を後ろに回して、それを洗濯機の蓋に置き、クリームを摑むとまたくるっと身体を回して、鏡に向かって塗る。
終わるとまた身体を後ろに回して、クリームを洗濯機の蓋に置き・・・といったことを繰り返していたのです。
ウエストをシェイプする運動になってるんじゃないかってぐらいでした。
ここで暮らすならドレッサーは必要。
そうなのです。
ドレッサーを人生で初めて買うべきタイミングが、到来したのです。

そこで通販ショップで見つけた三面鏡タイプを購入。
商品が届くと、引き出しを意味もなく何度も開け閉めして喜ぶ私。
購入前には気付かなかったのですが、スライド式の鏡が一つ付いていて、それが斜めの角度で固定出来るため、マスカラなどの細かい作業をする時に便利。
三面鏡ではなく四面鏡でした。
これは有り難い工夫の一品。

使い始めて気付いたのは、私はずっとドレッサーが欲しかったんだなということ。
毎日ドレッサーを使っている時「ふふっ」と楽しくなっているのです。

なくても、なんとかなるけれど、あったらちょっと気持ちが弾む・・・そういう品が部屋にあるのって、いいですね。

季節が進んで

  • 2021年10月21日

久しぶりにブーツ型の湯たんぽを使い始めました。

足先の冷え性である私は、このブーツ型湯たんぽを一年中使っていました。
夏は冷房を使用しながらも、足はブーツ型湯たんぽに入れているといった状態でした。
そんな私が1ヵ月近く、これに足を入れていませんでした。
引越しのバタバタで、精神が高揚していたのでしょうか。
足先の冷えをシカト出来ていたのです。

引越しのバタバタが終わり気持ちが落ち着いたせいか、急に足先の冷えを思い出しました。
そこでブーツ型湯たんぽにご登壇を願いました。

そういえば新居には床暖房の設備が入っているので、契約すれば利用出来ると聞きました。
その時「どうしますか?」と尋ねられたのでした。
いつでも好きな時に手続き出来るものならば、今はしない。
今冬を過ごしてみてから決める。
そう考えて「今は契約しません」と答えたのでした。
私にしては珍しく、まっとうな考え方。

いつもの私なら、勧められるまま契約してしまっていたでしょう。
その後で後悔するというのが、お決まりのパターンでした。
それがこの件に関しては、まっとうな考え方をすることが出来ました。
普段緩んでいるネジが、なにかの拍子でしまっていたのかも。

小説「僕は金(きん)になる」は父ちゃんの台詞で始まります。
それは「お前はまっとうに生きろ」というものです。

読み進めて頂ければ、この台詞の意味がわかってくるかと思います。
まっとうに生きたいと思っていても、まっとうに生きるというのは結構難しいものです。
人によって「まっとうさ」は違いますし、それは時代によっても変化しますしね。

父ちゃんの願いを、息子の守は叶えて、まっとうに生きるのか。
まっとうとは言い難い生き方をする父ちゃんの人生は、どんなものなのか。
こうした視点から小説を味わうのも一興かと思います。

行楽の秋、食欲の秋もいいですが、読書の秋も楽しんで頂きたいところです。

新居の照明が

  • 2021年10月18日

文庫「僕は金(きん)になる」はお手元に入りましたか?
まだの方は是非。

文庫は3年ほど前に単行本の形で発表した小説を、文庫版にして再発表するものです。
単行本は何度も推敲し、編集者や校正者のチェックを受けた上で発表します。
ですが、3年後に文庫版を発売する前にも改めて推敲します。

すると直したい箇所が山のよう出てくる。
3年前にはこれでいいと思っていた表現が、今は違うと思うのです。
でもなるべく直さないようにします。
綺麗な文章にはなるかもしれませんが、それによって書いた時の熱が失われることがあるから。
たとえ稚拙でも作り手の熱によって、気持ちが伝わる場合があると思うからです。

こうした作業が佳境の時期に、私は引っ越しという厄介なものを、クリアしなくてはいけなくなりました。
仕事に影響が出ないよう準備をしたつもりですが、私の考えは詰めが甘く色々な不具合が発生。

新居には照明器具がないと気付いたのは、引っ越し前日。
ハハッと笑うしかなかった。
内覧した時は昼間だったので、部屋の灯りのことまで頭が回りませんでした。
そしてそれまで使っていた部屋の灯りは、スポットライト的な特殊な照明器具で、それを新居では使えないだろうと気付いたのが、引っ越し前日。
新居で使える照明器具がどういうタイプかわからないので、慌てて買うことも出来ず、そのまま引っ越し当日に突入。
バタバタと走り回る一日。
そして新居に夜がやって来る。
キッチン、トイレ、浴室、廊下の灯りは、貸主が用意してくれていたので明るい。
部屋だけ暗いといった状態。

私にはチェックしなければならないものがある。
そこで廊下に座り込み、手元を懐中電灯の灯りで照らしてゲラをチェック。
その時「人生は完璧じゃない」という格言を思い出しました。

この「人生は完璧じゃない」の言葉は、昔観た映画の中のセリフ。
その映画の中で、偽造パスポートを受け取りに来た女性が、中身を確認すると名前の綴りが違っていた。
そこで文句を言うと、偽造パスポート屋の男が肩を竦めて言葉を返すのです。
「人生は完璧じゃない」と。
この偽造パスポート屋に修正する意思はなく、女性も結局諦めます。
本筋とはまったく関係ないワンシーンの中のセリフなのですが、妙に心に残りました。
それからトラブルに見舞われた時などに、この言葉を思い出すようになりました。
そうすると少しだけ気持ちが落ち着くのです。

廊下の灯りで原稿チェックすることになったのは、誰が悪いって、己のぼんくらさが悪いのですが、それを責めてもしょうがない。
人生は完璧じゃなく、自分も完璧じゃない。
だからこんなこともあるんだよ。
そう自分を慰めるのでした。

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